はじめまして。デイ工房の管理人・個人事業主兼フリーランスデザイナーの中西礼子です。
こんにちは。僕は亀岡龍太郎、デイコの補佐1です。リュウと呼んで下さい!
この度は『デイ工房』へご訪問くださいまして、ありがとうございます。
このページでは、『管理人デイコの経歴』と『このデイ工房の屋号の由来など』について書いてます。
こんにちは。私は福留幸与、デイコの補佐2です。さちと呼んで下さい!
基本この3人の会話形式で解説していきます。
良かったら、読んでいってくださいませ〜。
経歴
子供時代(小・中学生の頃)
図画工作が大好きで、家庭科の被服が苦手な子供でした。
足踏みミシンが逆走するので、作業が続かない…リズム感の悪い子供でした。
ねえ、デイコはリズム感がなくて、美術専攻ってことは「マシン音痴」と言うより、普通に音痴なんじゃないの?
思春期時代(高校生・短大生の頃)
絵を描くのが大好きで、暇さえあればイラストを描いてました。通っていた高校では芸術科目は選択で「美術」を専攻していました。
短大の頃、初めてMacに触れました。当時はまだイラレがVer.3で、フォトショに至っては、ベータ版しか存在していなかった頃です。勿論、Windowsも存在していない時代です。
Macとは非常に相性が悪く、私はマシン音痴だと思い込んで、コンピュータの授業をサボりまくっていた記憶があります。講師に泣きつかれて、ギリギリ単位を取った問題児でした…。
確か、とんでもない方向音痴で、目的地に辿り着けない事も頻繁にあったよね…。クイーン・オブ・オンチと呼んでも支障ないレベルだよね。
社会人新人時代
名古屋にある設計事務所へ就職。就職1年目は残業手当がつかない会社だったので、毎日ほぼ夜中の3時まで残業、土日祝日は休日出勤、お休みなしの1年間…不眠症になり自立神経失調と判断され、すぐに三重県に戻りました。
その後しばらくは、体調が戻るまでバイト生活、その間、4年間で5回も交通事故に遭遇するという日々。肋骨3本骨折(全治3ヶ月)が完治するまで、デザインや建築関係の仕事から離れていました。
確かに、方向音痴はハイレベルだけど、交通事故は、道に迷った所為じゃなくて、出合い頭やオカマ掘られたり、玉突きで挟まれたりしたんだよ…。肋骨骨折は、シートベルトしてなかった所為で、窓ガラス突き破って、道路に叩き付けられた所為なので、自業自得だけど…。
社会人復活時代
事故の怪我が完治した後、隣の町にある建築関係の会社にCADオペレーターとしてお世話になりました。その後、イラレの経験や、フォトショの経験などがあることから、営業さんの補佐として企画部へ移動、自社ホームページの制作や自社新聞(お施主様向けDM)の制作や建築物の完成予想図の画像作成など、担当させて頂きました。
フリーランスのマネごとって?
若かりし頃にも開業してたの??
フリーランスマネごと時代
メインはDTPのお仕事で、たまにホームページのお手伝いなど。小遣い稼ぎにしかならず、再就職することに…。
これは触れたくない過去の経験…。
安易にフリーになってみようと試しただけで、単なるフリーター時代と言ってもいい失敗談です。
インハウスデザイナー時代
Web制作のできる職種に就きたかったが、三重県はまだそれほどホームページに重要性を感じていない経営者の方が多く、デザイン事務所的な制作会社がほとんどなく、通販サイトを運営している、運営したい…という企業さまへ就職し、通販サイトの運営・更新をメインとしたWebページ作成と、自社用のPOPやフライヤーなどの制作のお仕事を11年ほど経験しました。
ねえねえ、インハウスデザイナーって何?
一応、今はフリーランスデザイナーなんだよね?
フリーランスへ
きっかけは、母の体調不良と、自身の勤務体制が母の体調へ悪影響を及ぼすことが原因での退職でした。
フリーランスへの再挑戦としては、ギリギリの年齢だったのと、両親の老いを考慮し、自宅でできる仕事をしようと決起しました。
「インハウスデザイナー」というのは、デザイン会社やフリーランスではなくて、一般的な事業会社に勤めながら、社内のデザイン業務を行う担当者のことです。
デザイン会社やフリーランスのデザイナーは、主に「外部の企業から依頼された制作物」を担当するけど、インハウスデザイナーは「自社ブランドの制作物」を担当するんだよね。
だからこそ、ある業務を外部企業にアウトソースせず、自社内で行なうことを意味する「インハウス」の言葉を用いた「インハウスデザイナー」と呼ばれているんだ。
そのほかに「社内デザイナー」や「企業内デザイナー」と呼ばれることもあるみたいだよ。
インハウスデザイナーとして、会社のカラーに沿わせる、それに慣れてしまった自分が、お客様のご要望にお応えできるか、それは不安でもあり、楽しみでもありました。
私にも「自分が思い描いたものを作りたい…」そんな時代がかつてはありました。
ですが、反対に心配していたインハウスデザイナーとしての経験のおかげで、お客様のご希望に沿うためにはどうするべきか、そのお客様の会社のカラーは何なのか、順を追ってデザインできるようになっていました。
そしてお客様にご満足いただけたとき…すごく良くなったよ!と喜んでいただいたとき…この上ない充足感を感じます。
中西 礼子 プロフィール
1972年、三重県伊勢市生まれ、岐阜県にある短大でインテリアデザインを専攻し、名古屋の設計事務所へ就職するも、体調不良や度重なる交通事故により、しばらくデザイン関係の職種から離れ、地元の三重県にてひっそりと生息。
その後、1997年〜2005年頃まで、地元の建築施工関係の会社でCADオペレーター兼インハウスデザイナー(DTPメイン+Webサブ)として働き、DTPメインでフリーランスのマネごとを2年間ほど経験する。
そして、2007年〜2018年まで、通販サイトの運営・更新をメインとしたインハウスデザイナーとして働き、2018年10月に独立・個人事業主「デイ工房」を開業しました。
屋号について
「デイ工房」とは
フリーランスのマネごと時代、自作の名刺に刻んだのが一番最初の名乗りでした。
私の高校時代からの通称(あだ名)が「デイコ」だったので、インターネットのハンドルネームやパソコンのメールアカウント、また携帯でメールが送れるようになり、キャリアメールのアドレスを取得できるようになった時のアカウントにも「deiko」を用いていた私にとって、私自身を表す名前は「デイコ」でした。
そして、WebやDTPのデザインをするということは、作品を作り出すということ。つまり、スタジオとかアトリエとか、自分の作業場がそれに当たるとなれば、それは「デイコ」の「工房」ですよね。
でも「デイココウボウ」って舌噛みそうな、滑舌悪い響きだったので、重複?する「コ」を一つとって「デイ工房」というのが、最初のフリーランスのマネごと時代の頃の名付け理由でした。
結局、同じ名前の屋号を付けた理由って何だったの?
開業届を提出するにあたり・・・
2018年9月、地元の商工会が開催していた「開業塾」に参加しました。そこでは、事業計画書を作成したり、屋号を決めたりする課題がありました。
正直、悩みました。だってそこはやはり、一度考え無しで失敗し諦めた時に名乗っていた屋号以外を使用したいじゃないですか…。
ですが「デイ」と「工房」をいざ英語に置き換えてみたら「Day」と「Atelier」となり、気付きました。
私のフリーランスデザイナーとしての第一歩は、日々の行動、日々の積み重ね、日々の感謝から成り立つアトリエな訳です。
もうこれ以上の屋号はないな…と再認識しまして、でもやはりちょっとは変えたい…という願望も捨てきれず「Day Studio」やら「Atelier Day」やら色々もじってみましたが、私らしさを感じないんです。
非常に忙しく手不足で、どんな手伝いでもほしいことの喩えに「猫の手も借りたい」って諺があったね。
仕事への向き合い方・キャッチコピー
私は、自分のキャッチコピーを「まごの手・ネコの手 デザイナー」としています。
- まごの手:痒いところに手が届く
- ネコの手:忙しい貴方のお手伝い
これがモットーでスタートした開業です。
自分同様の個人事業主さまで、毎日が忙しく自分のホームページを作る余裕がない、でも個人だから高額の費用はかけられない…
そんな方々のお手伝いをさせていただけるような、日々のサポートも承れるような、そんな立ち位置でお付き合いできるデザイナーでありたい。
だったら、変に拘らず、自分らしい「デイ工房」がピッタリなんじゃないか…そんな結論にたどり着き、この屋号で開業しました。